お茶
現在、都内で住宅を設計させていただいているMさんのご自宅にお打ち合わせにいくといつも感じます。
Mさん家族はスマートでセンスがいいなあと。
一般にお子さんがいらっしゃるご家族だと、どうしても生活スタイルが乱雑になりがちなのは仕方がないことです。
しかしながら、Mさんご家族は小さなお子さんが二人もいらっしゃるのにもかかわらず、都会の生活を非常にスマートに楽しんでいらっしゃっています。
打ち合わせの際に、奥さん手作りのクッキーの横に置かれるコーヒーカップはファイヤーキングのマグカップ、そして打ち合わせの合間にネットオークションで新居に使用するボラ製のキッチン水栓を落札。
そして、センスの良い茶碗に淹れられた深緑のお茶を一口含んだ時、「???」
ほんのり塩味がする香りの良いお茶。
思わず、「このお茶、どこで売っているんですか?」と聞いてしまいました。
打ち合わせの度にあまりにもしつこく質問していたせいか、ついにはプレゼントしてくれました。
・・・すみません。
「茶三代」という島根県のお茶屋さんの「しらおり」という商品でした。
「しらおり」というのは「茎」の部分のことを意味しているようです。
お茶の構成を読むと、緑茶、抹茶、こけい茶、調味料(アミノ酸等)
うーむ、やっぱり、でもおいしい。
春のマイブームです。
級友
少し前になりますが、中高の級友に会いました。
学校は名古屋でしたが、現在は私も含めて3人とも東京で働いています。
一人は今でもたまに会う仲(H)ですが、3年前にマイホームを建て、その設計もさせていただきました。
中高が一緒だった友達と20年以上経った今も付き合い、家の設計も頼まれるとは、本当に幸せなことだと思って感謝しています。
実際、そんなに信用されているのかは解りませんが、住宅といったら人生で一番高い、リスクのある決断には変わりありません。
この仕事にはプレッシャーがつきものです。いわんや、親友からの依頼だとすればプレッシャーはMAXに達します。
幸いなことに、完成した住宅はどうやら気に入ってもらっているようで、ホッとしています。
また、もうすぐ私の奥さんの親友家族の住宅が完成します。完成したときに、気に入っていただけるだろうか?毎日プレッシャーや恐怖が心のどこかにあります。
話をもう一人の級友、Fに移します。
本当に20年ぶりの再会でした。学生時代の話をしていると、自分達はどうしてあんなにバカなことばっかりしていたのかと、笑い過ぎて涙がでました。
また、Fの会社の後輩の奥さんが私の奥さんとママ友だと判明してから、さらに話ははずみました。
後日、FからはメールでMIXIの会員のお誘いがあり、会員になったのですが、なんとなく使い方がわからず、放ったらかしにしてしまっています。
少しづつ、未知のサイバーワールドに入って行こうかな。
今日は沈丁花の香りを嗅ぎました。
なんとも言えない良い香りです。
今年は花粉症がそれほどひどくないので、春を充分楽しんで行こうと思っています。
春を楽しめることは贅沢の一つですね。

カエル
先日、家までの帰り道でカエルに会いました。
春、到来ですね。
毎年、家路の途中でカエルに遭遇できるスポットはだいたい決まっています。
今時めずらしいのですが、家の近くにはお庭に池があるお宅が2件あるのです。
毎年春になると、必ずその2件のお宅の近くからヒキガエルの鳴き声が聞こえてきます。
もし、何かの理由でこのお宅から池がなくなってしまえば、おそらくカエルたちの姿も見ることができなくなるでしょう。
逆に考えれば、ちょっとした環境(この場合は池)のお陰で、年々カエルは子孫を残すことができるわけです。
このように、生き物と環境との関係は非常にデリケートなものだと思います。
視点を遠くに移して、例えば中国のアモイトラは野生では30頭ぐらいしかいないと言われていますが、彼等もちょっとした環境を拠り所にしてなんとか子孫を維持しているのだと想像できます。
これからも、注意深く大事な生き物の行く末を見守っていきたいと思います。
桃の節句
年が明けてもう2か月が経ちました。
あっという間の2か月でした。
今年は不況なので、のんびりした一年になるかと思ったら、それは大間違いで、どちらかというとバタバタしています。
それではこんな時期に設計事務所が忙しい原因はなんでしょうか?
おそらく、去年まで値下げしないでなんとか持ちこたえていた土地が、年が明けて「もうだめだ」ということで大幅に値下げしたことが原因ではないかと考えています。
土地が安くなったので、土地を物色している人が少なからずいらっしゃるのです。
これは、株が大幅に安くなったので、証券会社の口座を開く人が急増したのと同じ現象だと思われます。
土地がたくさん動けば、建築の計画が増えるわけですから、設計事務所が忙しいのは理に適っています。
梅の季節が過ぎ、ついに桃の節句が近付いてきました。
気が付いたら桜が咲いていた、なんてことがないようにしていきたいですね。
初詣
昨日、事務所のスタッフと一緒に初詣に参りました。
事務所に一番近い八幡宮に参ったのですが、なんと神社の敷地内に竪穴式住居が展示してありました。
改めて竪穴式住居を見るとボリュームの大部分が屋根であり、なかなか素敵な形態ですね。
縄文時代にはデザインなどという認識はなかったと思いますが、それ自体はバランスがとれたすばらしいデザインだと思います。
新年らしく、初心に戻る良い体験でした。
今年は初詣に出かけた人の数が、ここ数年で最も多かったそうです。
世の中の人々の心が急速にチェンジしている証拠ではないでしょうか?
それも良い方向に。
2009年(始まりの年)
皆様、新年明けましておめでとうございます。
晴天で静かなお正月を迎えられたことでしょうか。
フラットハウスの2009年は軽井沢の別荘、都内の集合住宅を初め、たくさんの物件が完成する年であります。
気を引き締めて、丑年らしく一歩一歩ゆっくりと力強く、前へ前へと進んで行きたいと考えています。
今年、建築は自動車と同様、革命が必要な年となるでしょう。
後に、すべての始まりは2009年からだったと思える年にしたいと思っています。
本年もフラットハウスを何卒宜しくお願い申し上げます。
デザインと投資
金融危機といわれていますが、全世界の建物のプロジェクトにも影響が広がりつつあります。
そのこととは少しずれたテーマですが、デザインと投資は似ているなあと私は思っています。
「人の行く裏に道あり、花の山」
人はどうしても人気があるものに目がいってしまいます。それは、デザインの世界も投資の世界でも同じではないでしょうか?
私は今っぽいデザインには未来は無いと考えています。
流行ではなく、本当にクライアント、社会、そして自分が目指すべき建築。
そのことをもっと深く考えて、仕事をしていこうと思っています。
デザインと音楽
小室氏が逮捕されたことにはびっくりしました。
以前、隈さんの事務所で愛知万博の計画をしていたときに、「万博のメインテーマの作曲家は誰がいい?」という話になりました。隈さんは坂本龍一さんがいいのではないかとおっしゃっていましたが、私は小室さんはと提案しました。そのとき隈さんが苦笑いをしたことを思い出しました。
音楽には曲と詩があります。建築でいえば構造と意匠でしょうか?
音楽の世界では、まず曲があってそれに作詞する場合もありますでしょうし、その逆もあると思いますが、一番興味あるのが、作詞と作曲がそれぞれ二人で同時進行でおこなわれる場合です。
必ずどちらかが最初のフレーズなり、さびの部分なりを作成すると思います。
そして、それに対してもう一人が応える。
この段階が一番興味があり、出会わしてみたいなあと思います。
たしか以前TVでスティービーワンダーの名曲が生まれる瞬間を放映していたような気がしますが、もう一度見てみたいですね。
建築でも名作が生まれる瞬間があります。
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ビオトープ
夏が終わり、秋深くなりつつある今日このごろです。
今年の夏は以前から興味のあったビオトープを自宅の庭に作りました。
といっても、40センチぐらいの睡蓮蜂に睡蓮、メダカ、ヌマエビ、ドジョウ、タニシを入れただけです。
基本的には世話はなにもしません。たまに餌をぱらぱら振りかけます。
現在では睡蓮に付いていたのかサカマキガイがどんどん増えてきています。
メダカはだんだん少なくなり、ヌマエビもドジョウも今はいるのかいないのか分からなくなりました。
夏の間にドンボが卵を産んでヤゴでも生まれないかなと期待をしていたのですが、そんなにうまくいかないのが自然というものです。
私は小さいころから、川や林の昆虫や魚が好きでした。そういう多様な生き物が織り成す生態系に親しみを感じていました。
とはいえ、ファーブル昆虫記を読んでも、あまり関心を持たなかったのも事実です。
どうやら、ファーブルのようにフンコロガシをじっと観察することには興味が持てなかったようです。
現在、私は建築の設計の仕事をしていますが、結局それは小さいころから親しみを感じている生態系のような環境を創ってみたいという欲求から始まったものだと感じています。
しかし、皮肉にも建築の建てるということは、自然を少なくして人工物を増やすことになります。
そのことはときどき悩みますが、なんとか建築を自然化していくことはできるのではないかと考えています。
一年前、壁も屋根も土で仕上げた建築を設計しましたが、もうしばらく経ったら屋根と壁から少しずつ草や花が発生してこないかなと密かな期待をしています。
自然を増やすための建築、建築の自然化、これからも何ができるか考えてみたいと思います。
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夏
本当に久しぶりのブログです。
もう夏も折り返し地点を過ぎましたが、まずは初夏の報告からさせていただきます。
7月の初旬にあるクライアントさんに蛍がいるスポットを教えてもらい、蛍を見に行くことになりました。
今年になって3歳になる娘に、いろいろとこの世界の不思議を感じてもらおうと思い、今回もそのイベントの一つとして蛍を見に行くことになったのです。
夜8時半ごろ、蛍の飛ぶ川のふもとにたどり着きました。
寝ている娘をたたき起こし、なんとか蛍が飛んでいるところを一緒に見ることができましたが・・・。
思ったより、娘は驚きません。
というか、ほとんど、寝ぼけています。
私たちの他にも蛍見物の人たちが結構います。
蛍見学の人たちは、蛍単体に出会うことにも価値を感じていると思いますが、蛍が存在する環境そのものに出会うことにも大きな価値を感じているようです。
娘にはまだどちらの価値も分からないみたいでした。
まあ、それなりに楽しんでいたようですが・・・。
昔の人は、蛍の光を本を読むための道具としても価値があったのかもしれませんが、昔も今も蛍の光はそれ自体出会うことに価値があったのだと思います。
建築家のバーナード・チュミは、建築のことを(うらおぼえですが)こんなふうに言っています。
人が一本のマッチをなんの用途のためにではなく、ただ炎を見たいという快感だけのために擦るとしたら、その行為こそが建築である。
かっこいいですね。彼にとって建築とは、快感のためのイベントなのです。
夏になり、蛍や花火などのイベントが多くなると思い出す建築観です。
たしかに、蛍や花火を見ている人たちは本当に楽しそうですよね。
建築も、単なる用途、機能としての価値ではなく、それ自体の存在が価値となるべきだと感じた初夏でした。
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