これからの復興
日本の首相が変わり、ようやく東日本では本格的な復興が始まります。
文字通り津波でなにもなくなった町は無からの出発であり、コンピュータでいえば初期化された後のOSを再インストールする状態です。
幾つかの復興計画を読むとまだまだアウトラインの段階ですが、私は細かい箇所の自由なアイディアを募集するなどして、新しいまちのシーンごとの魅力のイメージを集めていくことも大事だと考えています。
そうして集まった「こんなのあったらいいね」的なアイディアを並べてながめながら議論をすればさらなるアイディアが生まれ、そこから新しい東北のまちの全体像、インフラのあり方が見えてくるのではないかと思います。
例えば、欧州にあるような電気自動車のための「充電スタンド」の普及というアイディアがでれば。それをもとにこれまで日本ではほとんど普及していない電気自動車のための充電専用パーキングの普及されたエコシティを東北で検討するのも良いでしょう。
スイスでは年間1万円弱程度で充電&駐車し放題のパーキングもあり、そういったまちづくりが電気自動車を普及する原動力になっています。
または、「電柱や電線がない美しい風景」という意見があれば、それをもとに新しい東北の風景や景観条例を考えていくのも良いでしょう。
復興では短期の雇用や被災者の衣食住の問題、震災時に被害が少ない町づくりの検討ももちろん重要ですが、もともと豊かな自然を背景に持つ東北の強みを生かしてスマートで美しいまちづくりを目指していくことは、新しい東北のブランドを構築する上でまたとないチャンスとなるのではないでしょうか。
夏の中国
先月中国の広州に行く機会がありました。
見本市の視察で行ったのですが、今回の中国で一番印象に残ったのが、日が暮れてからの歩道です。
歩道に面して建てられているマンションでは一階部分の殆どが店舗か小さな仕事場になっています。
すべてのマンションの2階部分は1階部分より張り出しているので、歩道の庇として貢献しています。(このあたりが民間レベルではなく、必ず政府レベルで建物計画ができる国の強みですね)
店舗は歩道に延長するように営業しています。
ビリヤード屋さんはビリヤードを当たり前のようにビリヤード台を歩道に置いています。
飲食店のテーブルはお店内部から歩道に伸びています。
夜は歩道にたくさん椅子を置き、テレビを皆で見ていました。
その隣の小さな工場では歩道に対して出入口を全開にして、何人かでミシンを回していました。(中国には仕事がたくさんあるので残業をしているのでしょうか?)
これらはバスでの移動中に見た光景ですが、歩道に面してブースごとに全く異なることが展開され、その一つ一つにパワーを感じました。
また、公園では夜は社交ダンスがあり、朝は太極拳の人で賑わいます。
案外開かれたコミュニティがあり、それを皆楽しんでいるなあという印象を受けました。
これからどんどん変わる国なので、次回はどうなっているか楽しみです。
明るさ再考
計画停電以降、東京の駅は暗くなりました。
西日本からの出張の帰り、東京駅の中に入ると一瞬工事中かな?と勘違いしてしまうくらいです。しかしながら、今まで暗くなった駅を悪く言う人にあったことがありません。
「ヨーロッパの駅みたいで悪くない」とか「落ち着く」など、暗い駅に対して肯定的な意見がほとんどです。そうなると、逆に今までの駅の照度は本当に適切だったのか、という疑問が生まれます。今ではもう慣れてきましたが、私自身、駅が暗くなった当初はいい意味でインスタレーションアートのように感じました。20世紀以降のアートは当たり前だと思っていることに対して疑い批評することが目的です。そういう意味でも、暗くなった駅は十分のアートとしての資格があります。私たちは今回の暗い駅という貴重な体験をきっかけにして、駅をはじめ、他の様々な施設、さらには街全体の照明のあり方を再考する必要があるように思います。それは単なる節電という目的だけではなく、照度や照明の色を人のメンタルな部分まで考慮した照明計画のことです。(当然、安全性の考慮も忘れてはならないのですが)そうした考えをもとに各施設の照明計画を進めていけば、日本の都市はもっと素敵になっていくような気がしました。
今回の節電はそんなことを気づかせてくれたことにも大きな意味があります。
現在、駅は点灯している昼白色の蛍光灯の数が減っているだけなので、もちろん、ただ暗いだけなのですが、それだけでも「落ち着く」効果がすでにある訳ですね。考えてみると、ヨーロッパの都市だけでなく日本の古い建築や街の照明も十分暗く雰囲気があります。谷崎潤一郎の陰翳礼讃はもともと西洋批判のはずですが、いつ逆転したのでしょうか。
ともかく、今、日本人は疲れています。例えば、暗いことを売りにした「癒しコンビニ」なんてできると流行るかもしれません。
ロボット/未来
ロボットが福島原発の事故で活躍しています。
例えば、アイロボット社製遠隔操作ロボット「パックボット」、これから投入される予定の日本製緊急災害対応ロボット「Quince(クインス)」は瓦礫のある通路や階段を上って放射線量を測ったり、映像を撮影したりすることができるそうです。また、ハネウェル社製遠隔操作ヘリコプター「Tホーク」は原発の上空からの撮影で一躍有名になりました。
T-Hawk
放射線が強い場所での瓦礫の撤去作業では無人のクレーン車も登場し、ついに私たちは映画ターミネーターのような世界、決して目指すべきではない世界に向かってしまっているのではないかと危惧してしまいます。
映画で見る「未来」の多くは「こうなっちゃいけない未来」です。
そして、大抵映画のラストではそうした「望まれざる未来」から脱却する兆しが見えたところでエンディングとなります。
「ターミネーター」、「アバター」、そしてアニメ「風の谷のナウシカ」もそうでした。
私たちは「こうなっちゃいけない未来」を想像するのが得意です。映画の中に現れる未来にはほとんど必ずダークな部分を内在しており、それが現代のリアルな世界の批評性、未来への警鐘として表現されます。
一方、私たちは「こうなりたい未来」のトータルな姿を想像するのが苦手です。
それとも、本当は得意なのにそんな未来はつまらないと思い想像しないだけなのでしょうか?
結局、私たちは今日も「こうなりたい未来」の断片をパッチワークのように想像し、繋ぎ合わせてなんとか世界を構築していくことしかできません。
ロボットの話に戻しますと、ロボットの中には有用ではないけれども、「こうなりたい未来」の断片を想像させてくれるものもあります。
如何でしょうか?
カフェ@野川公園
今日は三鷹市の野川公園に遊びに行きました。
1年半ぐらい前に、公園の真ん前という素晴らしいロケーションで設計をさせていただいた住宅があります。
ここはただの住宅ではなく、1階はカフェ+ギャラリー+アトリエとして計画をしていました。
そして本日、いよいよカフェがオープンすると聞き、遊びにいきました。
来てびっくり・・・。
あまりに完成度の高いインテリア+家具+食器+メニュー・・・。
桜の風味のする紅茶+絶品のスコーン・・・。
カフェの名前は「うふ」です。(フランス語でたまごです)
外形はキューブ型ですが、内部にたまご型(自由曲線)のカーブをした壁が特徴です。
その壁を工事中に大工さんが「たまご」と呼んでいたことからこの名前にしたそうです。
以下がカフェの情報です。
(ホームページはまだないのかな?)
住所:東京都三鷹市大沢6-3-54
(野川公園の駐車場から自由広場というエリアに5分ぐらい歩いていき、道路沿いに白いキューブの建物が目印です)
オープン:日曜の11:00~17:00のみです。
ギャラリーも今後オープン予定だそうです。
これからの季節、機会があればぜひ広くて気持ちの良い野川公園と一緒に訪れてはみませんか?
癒されますよ~。
可愛い子供用スリッパたち
TSUNAMI
しばらくブログを書かないでいたら、地震が起こりました。
被災された方々、特に子供たちのことを考えると胸が痛みます。
私は日本が果たしてこれからどうなっていくのか、イメージできません。
ただ、もしかしたらこのことが日本の方向転換の始まりになるかもしれないという希望も少しはあります。
それは「発展型の社会モデルからの脱却」という希望です。
そのことはまたの機会に書きたいと思います。
今回は国際語になっている「津波」(TSUNAMI)について書きます。
なぜこの言葉が国際語になっているのかが前から気になっていたのですが、先日そのことを知る機会を得ました。
1854年の安政南海地震で起きた実話をもとに小泉八雲が英語で書いた物語”A Living God“(日本語題名:稲村の火)の中で”Tsunami”と初めて紹介され、それが後に世界中に広がりました。
この物語はアメリカコロラド州の小学校の教科書にも載っていたことがあるほど海外では有名なのにも関わらず、日本ではあまり知られていません。(日本でも中井常蔵が翻訳・再話し教科書に掲載されていたこともあるのですが)
物語のあらすじはこんな感じです。
村の高台に住んでいた庄屋の儀兵衛は地震のあと海の異変に気づき、津波がくるのではないかと思い、なんとか下にいる村人にそれを知らせることはできないかと考えた。そこで、刈り取ったばかりの稲村すべてに火をつけのろしをあげた。村人は儀兵衛の家が火事だと思い、みんなで高台に集まって来たそのとき、大きな津波が村を飲み込んでいった。村人たちは儀兵衛が村人たちを助けるために大事な稲村に火をつけたことを知り涙を流して感謝したのであった。
物語の主人公、儀兵衛はのちに郵政大臣となり辣腕を振るったそうです。
そしてなんと、この物語は2011年度より再び日本の小学校5年生の教科書に掲載されています。
このことを知ったとき、背筋が寒くなりました。
儀兵衛さんが現代の日本人に天国から警告していてくれたのかもしれません。
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ストーリーのある建築とない建築
建築は「ストーリーのある建築」と「ストーリーのない建築」に分けることができます。
「ストーリーのある建築」とは、例えば美術館のように歩く順路が決められている建築のこと指します。
一方、「ストーリーのない建築」とは、例えば住宅のように歩く順路が決められていない建築のことを指します。
ある美術館はエントランスから出口まで一方通行なので、音楽や小説、または映画やフルコースの食事のようにストーリーを構成することが出来ます。
もちろん、一方通行ではない構成で創られた美術館もあります。
住宅はたとえエントランスから始まっても、寝室が最終目的地でもなく、必要に応じてキッチンやトイレを行ったりきたりするので、ストーリーを構成しづらい建築です。
建築にとってストーリーとは、風景のシークエンスであったり、空間の伸縮であったり、光と影のリズム、等々いろいろな手法が考えられます。
ディズニーランドでアトラクションの順番待ちのため長い洞窟の中を歩くとき、空間の伸縮や音などで私たちを退屈させないようにしていますが、あれもアトラクションに至るまでのストーリーといえるでしょう。
ディズニーランドの例でも分かるとおり、「ストーリーのある建築」は比較的考えやすいのですが、本当に醍醐味があるのは「ストーリーのない建築」かも知れません。
「ストーリーのない建築」は時系列に頼らない手法を構成しなければなりません。
小説や映画において、あえて時系列をばらばらにしてストーリーのない構成を狙った作品も多くあります。
建築は必ずしも音楽や映画のように時系列に縛られないこそ、かえってストーリーのない構成の方が手法として難しいのかもしれません。
しかし、そこに建築特有の効果を掘り出せる手法(マニエラ)が見つかるのではないかと思うのです。
建築の気
今日は月一回のペースでおこなっているスタッフとの夕食会でした。
普段はお互いそれぞれ忙しく、毎日仕事の話しかしないのはどうかと思い去年から始めた企画です。
今回は焼肉を食べながら、最近考えていること、それぞれの不満、建築論等でそれなりに盛り上がりました。
そんな中で、建築には「気」があると思うという話をしました。
設計者が一生懸命考え、職人さんたちが一生懸命工事をして完成した建築からは大きな「気」を感じます。逆にいい加減な気持ちで完成された建築からは小さな「気」しか感じられないので、物足りない気持ちになります。
そのためか、建築というのは高価な材料よりも、造る側の知恵と努力のプロセスの方が影響力を持つと考えるようになりました。
オカルト的なことにまったく関心がないのですが、建築を見て感じる「何か」の中にはそういった「気」も入り交ざっているような気がしてならないのです。
以前、ある精進料理家がラジオの中で「人は食物から「気」をいただいているのです」と言っているのを聞いて衝撃を受けました。
建築の「気」を考えるようになったのもそれからのことです。
人はより合理的に必要な栄養だけ摂取するのであれば、食物よりもそれを分解したタンパク質の方が効率がよく、タンパク質をさらに分解したアミノ酸の方がいいのかもしれません。
しかし、それでも私達は食物を選びます。それはやはり単なる栄養だけではなく食物の「気」を欲しているからではないかと思うのです。
今日は私もスタッフも焼肉で「気」をたくさんいただきました。
来月もがんばろっと。
2011
あけまして、おめでとうございます。
すでに松も取れて睦月も後半となりました。
お正月気分が完全に取れてからのこのご挨拶はさすがに気が引けますが、2011年もどうぞ宜しくお願いします。
今年は幸いにも複合施設から住宅まで幅広い守備範囲で建築を扱うこととなりました。
この機会を大切にし、これからの建築のことを真摯に考え、答えを出す年にしたいと思います。
年の瀬
年の瀬です。
今年もいろいろなことがありました。
初めてのスタッフとの海外研修旅行
初めての複合施設の設計
そして、来年はもっといろいろなことがあるでしょう。
今日、仕事を納めてからYOTSUHAさんでお年賀のクッキーを買いました。
最近は東京の手土産本に紹介されてすっかり人気店になってしまいました。
美味しいし、体にも優しいクッキーだからファンになる人も多いはずです。
状況に応じて住宅とお店が溶け合い、
今年最も嬉しかったことのひとつです。
来年は今年よりもさらに真剣に建築を考えていきたいと思います。
「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」 高浜虚子
皆様、今年もありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
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