日記
夏休みの思いで(2)
シリーズ第2段です。
昨日は暑いなあと思っていたら、急に雲が広がり、雷が鳴ったとたん、凄い雹(ヒョウ)!!
初めて見る凄い勢いの雹でした。打ち合わせの現地に行くのに2時間遅れてしまいました。
電車に乗ったまま、鉄橋の上で1時間半も停車しました。強い風で飛ばされた木が線路の上に乗ってしまったのが原因でした。
なんて、さんざんな一日でしたが、それでも夏は好きです。
さて、本題に入ります。
「夏休みの思いで(1)」で紹介した友達との会話で、もう一つ忘れられないい思い出があります。
彼はロック(音楽)が好きなんですが、そんな彼が、
「自分がローリング・ストーンズが活動している時に生きていることは、非常にラッキーだ、確率としてはかなり低いはずなのに・・・」
「もしかしたら、縄文時代に生まれていたのかもしれない。そう考えると、本当にラッキーとしかいえない・・・」
これを聞いたときの感覚はいまでも覚えています。
ロックが本当に好きであれば、全盛期の1960年代~1970年代に青春を過ごせなかったことを残念に思ってもおかしくないのでは?
私がロック好きだったらそう思うはず。
つまり、確率を考えるときの、「分子/分母」の「分母」の大きさが違うわけです。
いろいろなことを考える上で、このように「分母」の大きさによって答えがかなり違ってきます。
このことに気付いたのが、「夏休みの思いで(2)」です。
私はロックに特別詳しくはないですが、嫌いではありません。
最近、サンボマスターを好んで聞いています。
ボーカルの彼が歌の中で、「仮にとか、もしもとか、もうやめましょう。僕はこの胸の高まりがすべてなんですよ!」とか、「僕は言葉にできないからギターを弾くんですよ!」など、叫ぶところがとても好きです。
彼らのほとんどの歌は「ビービー」という愛称の女性のことが主題になっています。そんな純なところもいいですよね。
「ビービー」で思い出すのが、J.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の主人公の妹の「ブーブ」です。響きが似てますよね。
サリンジャーは好きです。彼の本は全て何度も読み返しました。
それについて書くと長くなるので、また別の機会にします。
話がどんどんそれていくので、
「夏休みの思いで(2)」はこの辺でおしまい。
