プレゼント
クライアントと現場でのお打合せ。
奥様から帰りにすてきなプレゼントをいただいた。
ミッキーのペンライトキーホルダー。
他にドナルドダックやチップもいただいた。
「この前のお打合せのとき、可愛いですねって坂野さんがいったから。」
本当にうれしかった。
久しぶりにディズニーランドに行きたくなった自分がいる。
建築から絵へ

ギャラリーフェイク (31)
細野 不二彦
以前、何気なくコンビニで買った漫画。
結構おもしろかったので、コンビニにいくと他の巻がないか探してしまう。
ブックオフで見つけたので、何冊かまとめ買いしました。
主人公は元、N.Y.メトロポリタン美術館のキュレーター(学芸員)。
メトロポリタン美術館(MET)には留学していたころ何回かいった。
この漫画は「美味しんぼ」のように画と話の作り手が分かれていない。
だから、ちょっと物足りない気もするが、絵が好きなのでそれでも楽しめる。
同じく絵の物語、ダビンチコードは新刊が出た頃から注目していたが、まだ本も読んでいないし、映画も見ていない。
とりあえず、今後の楽しみですね。
作家の江國香織さんも絵も好きみたいで、絵や美術館を題材にした本も結構あったと思う。
彼女の絵を語るときの描写がとても好きです。
そういえば、最近のシャープ、アクオスの宣伝は建築から絵に題材を変えてきていますね。
アクオスの宣伝にも使われている、あのゴッホの「カフェテラス」は、今年あったゴッホ展で見られたのに,結局時間がなくてみられなかった。
本当に残念。(;e;)
愛知万博やってるときに名古屋の美術館でもやっていたのに・・・。
いつか必ず観る!
画家は生前は貧乏なのに、死んでから絵が評価され、めちゃめちゃ高くなるケースが多い。
そんな画家の純な生き方を尊敬してしまう。
今日は自分でもめずらしく、夜中にブログを書いている。
支離滅裂な文章でごめんなさい。
おやすみなさい。
ゴールデンウィーク
ゴールデンウィーク中に、雑誌の取材の下打ち合わせということで、去年の暮れに完成したあるお宅におじゃましました。
完成したときは、まだお庭が砂利のままでしたが、今回おじゃましたときは芝生も木もいい感じになっていました。
やはり、建物は外構ができて初めてしっくりくるものです。
まわりの環境にも馴染んできました。
都内に建てる住宅だと、庭のスペースがほとんどとれないのがあたりまえになりつつあります。
しかし、たとえ庭がなくても緑がなくても、自然を意識できる空間や環境をつくることが出来れば、といつも考えています。
人は、あるきっかけで自然を意識します。例えば、そよと吹く風、光の揺らぎ、鳥の声、水の音・・・などなど。
もしかしたら、ある人は「自然を意識することなんて必要ないよ」というかもしれません。
昔よりも自然を意識しなくても生活できるようになったのは、電気や設備の技術が発達したからです。
例えば、照明があるから夜も明るい空間を確保できます。エアコンがあるから寒さ暑さも気になりません。空調設備の発達で地下でも快適空間が保てます。
しかし、なにかものたりない感じがします。
どんなに技術が発達してもです。
「自然を意識できる環境」が足りないのです。
それを、つくるのが建築家の役目の一つではないでしょうか。
サロンコンサート

設計をしたお宅でサロンコンサートが開かれました。
アーティストは「アリエル・アッセルボーン」さん。
アルゼンチン出身の彼のやわらかなギターと澄んだ歌声は不思議な「癒し」があります。
短い時間でしたが、日々の忙しさを忘れることができました。
拡張器を使わず生の音色を30人ほどの親しい人たちと一緒に楽しんだ夜。
こんな贅沢はありません。
設計した家をこんな風に使用してくれた建て主さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
「人が集まる家っていいね」
そういわれたとき、この仕事もまんざらでもないなと思いました。
コンペ
久しぶりのコンペが終わった。
あとは結果発表を待つだけ。
良い提案だと思うがどうだろう。
最近忙しくてブログが書けない。
もっと頑張ります。
桜

100回は桜を見ることはできないと思う。
桜を見る回数=寿命
そう考えると毎年が貴重な体験ですね。
ジャパン、おめでとう
王・ジャパン、おめでとう。
すばらしい試合でした。
とにかく、世界一はすごい。
この調子で、ワールドカップも世界一だ!
試合後、キューバの選手がイチローと記念撮影をしていたのが、印象的でしたね。
棟上式
今日は上棟式でした。
上棟式は「棟上式」ともいいます。
建主さんはコピーライターさんですが、とても興味深いことをおっしゃっていました。
「棟上式は、胸がこみ上げる日でもあると聞いたのですが、いざ自分がその立場になってみると、本当にそんな気持ちになりました。」
建物を建てるということは、本当に大変なことです。
建主さんも、工事現場の監督さんも、職人さんも、そして設計するわれわれも、みんなそれぞれが苦労して上棟までたどり着きます。
ここで一息入れて、今度は完成を目指してがんばることになります。
上棟式の手土産の中にお赤飯が入っていました。
僕はお赤飯が大好きです。
なんといってもおめでたいですから。
風邪+花粉症

風邪をひいてしまいました。
しかし、この時期の風邪となると花粉症との区別がつきにくくなります。
たぶん、両方なのだと思います。
こんなとき、どんな薬を飲めばいいのか迷いますが、
子供の顔が一番の薬です。
考える範囲
自分はまだまだ考えが足りないと思った。
自分が設計した工事中の住宅のことである。
道路を挟んで正面のお宅から、「お互い玄関が向かい合ってしまうので、玄関をずらすか、前に塀を立てる等の配慮をしてほしい」という連絡があった。
早速その日に現場に行ったが、お向かいの家の玄関は、道路から階段を7段ぐらい上がったところにあるが、工事中の家は、反対に道路から3段下がったところに玄関が付く予定であった。
正直いって、設計中は、お互いの玄関はかなり高さが違うから、そんなに気にならないと考えていた。
工事中の住宅の建主であるクライアントにこのことを報告すると、「自分達はまったく(玄関のことは)気にならない。このデザインが気に入っているから、変更無しで進めてほしい。」と言ってくれた。
この言葉には内心うれしかったと、いうよりホッとした。
環境に配慮する設計を心がけようといつも自分に言い聞かせているのに、こんなことがあっては恥ずかしいと思う。
結局、お向かいさんに直接挨拶に行き、理解していただいて、このままのデザインで工事を進めることとなった。
これからは建物を設計するとき、建物同士が接近する隣地の建物に配慮するだけでなく、道路を挟んだお向かいさんも充分考慮していかなければならないと思う。
しかし、どこまで配慮しなければならないのか。どこまで範囲を広げて考えなければいけないのか。その範囲を設定するのはとても難しいと思う。
あんまり範囲を広げると、結局なにも建てないのが一番の環境の配慮となってしまう。
建物を建てるということは必ずまわりに迷惑をかける。お互い様といえばそれまでだが、それだけですまされない部分もある。
よく言われる「環境への配慮」という「環境」とは「自然」のことではない。
それは結局のところ「社会」に限りなく近づいていく。
なぜならクレームは常に「人」から出発するからである。ものを言わない「自然」に配慮して設計していると、足下をすくわれる。
小林秀雄の「考えるヒント」を読んだ。
設計のヒントにはならないが、興味深いことが書いてあった。
「平家物語」について、
「平家」は、曖昧な感慨を知らぬとは言うまい。だが、どんな種類の述懐も、行きついて、空しくなる所は一つだ。無常な人間と常住の自然とのはっきりした出会いにいきつく。これを「平家」ほど、大きな、鋭い形で現わした文学は後にも先にもあるまい。
自然がクレームを言わないのは、常住の存在としての余裕のあらわれなのか。
それとも言葉ではない、他の方法でクレームを表現するのか。

