雪
先日の東京は久しぶりの大雪でした。
朝早く、打ち合わせに行く途中、雪が積もった歩道を歩いていると、あることに気が付きました。
下水の鉄製マンホールの上には雪が積もっていません。
おそらく、この時期、建物から流れ出る汚水は温水の割合が多く、その熱で雪が溶けているのではないでしょうか?
この雪を溶かす熱源をなにか有効活用できないのかなあ?
そんなことを考えながらあるていると、大小の雪だるまの親子に出会いました。
夜、家路の途中で再び雪だるまの親子に会いましたが、すでに、崩れて小さくなっていました。
予想はしていたのですが、ちょっぴり寂しい。
でも、仕方がありません。
雪だるまは自然と人間の協同合作の産物ですが、最後には再び自然に帰って行きます。
2008
新年、明けましておめでとうございます。
本年もおねがいします。
年末から年始にかけて、いつもよりテレビを見ましたが、政治家の人たちの中だけで流行っている言葉があるように思えました。
それは「粛々」という言葉です。
ウェブ上の辞書で検索してみたら、
1 ひっそりと静まっているさま。
2 おごそかなさま。厳粛なさま。
3 つつしみうやまうさま。
今年はネズミ年ですが、チョロチョロせずに、自分も粛々と仕事を進めていこうと思います。
一年
しばらくブログを書かないでいたら、とうとう年末がきました。
忙しい一年でした。つくづく。
今年は早めに手帳を買いました。伊東屋オリジナル商品の小さいタイプのやつです。2年前に使っていたものですが、めぐりめぐって戻ってきました。
歴史は繰り返します。
ただ、なんか世の中はこれまでとは違う、まったく予測できないFACEに入ってきたのでは、と思っているのは僕だけでしょうか?
flathouse sakano
ゲーム
もうすぐクリスマスですね。
新しいのゲーム機器が発売される時期です。
数年前に任天堂DSが発売されたとき、みなさん売れると思いました?
僕はこれは売れないんじゃないかと思っていました。
なぜなら、ゲーム機器の新しい操作方法、新しいインターフェイスの開発ばかりに意識がいってしまい、本当に消費者が求めているものから離れていってしまっているんではないかと考えたからです。
発売当初はやっぱり売れませんでした。
ところが、しばらくして予想を反して売り切れ状態となりました。
これは、「脳トレ」というゲームの人気が大きな原因ではないかと思われますが、とにかく売れに売れました。
その後発売したゲーム機「WII」の好調も周知の事実です。
「WII」もDSと同じくやっぱり、これまでにない新しいインターフェイスが話題となりました。
そこで、大きく溝を開けられたのが、ソニーの「プレイステーション」と「PSP」です。
こちらは、指だけを使った従来通りのインターフェイスです。
発売当初、「PSP」はこれまでのゲーム機器からくらべると画面が格段にきれいというのがウリでした。
ぼくは、こっちの方が売れると思いました。
なぜなら、単純で簡単だからです。
操作方法を変えても消費者は混乱するだけだし、DSのようにペンを使ったゲームはあんまり面白くないと思ったからです。
くどいようですが、予想ははずれました。
でも、はずれて嬉しかったです。
任天堂の根底から従来のゲームを変えるというスタンスに敬意を持っていたからです。
消費者がついて来れないのでは、という心配は任天堂内部でもあったのではないでしょうか。
僕は、世の中というのは回り道をしながらも、結果的には常に分かりやすい方向に進んで行くものと考えています。
しかし、分かりやすい方向の判断はそれほど簡単なものではないということですね。
建築家のスタンスも大きく二つに分かれます。
青木淳さんの文章を引用すれば、
一方に、まぼろしを現実の世界に定着することを目的とした建築家がいる。もう一方に、まぼろしのような、そもそも個人的なものでしかありえないものではなく、社会的な課題なり歴史的な課題なりへ解答を与えることを目的とした建築家がいる。
となります。
ちなみに、前者は建築のプログラムの構成を根底から変えることを目的とした建築家のことです。日本ではなぜか前者が多数派ですが、世界でみれば後者が多数派です。
さて、どちらが勝ち組となるのか?
言わないだけで、日本の建築家全員が意識している命題です。
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にほい
久しぶりにアイロンがけをしました。
アイロンからでるスチームのにおいが心を和ませます。
におい、もしくは香りは不思議です。
心の奥深いところに直接届いていきます。
建物にももちろんにおいはあります。
ワックスのにおい、塗装のにおいや木のにおい。
それだけではありません。
建物の屋外から届く、季節ごとの木のにおい、そして雨のにおい等々。
人は自分もそうですが、忙しいと目に見えるものだけしか気にならなくなります。
隙間の時間でアイロンがけをしたとき、嗅覚を含めた五感を意識する大切さをあらためて思いました。
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リサイクル
先日、あるラジオ番組の収録がありました。
テーマは「環境と建築」です。
そのときにリサイクルの話がでました。
リサイクルでまず思い浮かべるものの一つにペットボトルがあります。
しかし、ペットボトルのリサイクルにはお金がかなりかかります。
なぜなら、ペットボトルをいったん溶かしたりなんだりで、結構手間がかかるからです。
しかし、このことを一気に解決した面白い新興企業がアメリカニュージャージーにあるそうです。
「テラサイクル」という肥料メイカーです。
ミミズを使ってできた肥料を使用済みのペットボトルに詰めて売られています。
店頭に並べられたペットボトルは、ランダムに集められた使用済みのものなので、その形はばらばらです。
しかし、私たちはペットボトルに貼ってあるラベルが統一した色と文字なので、同じ商品だと認識できるようになっています。
また、この会社はこの製品の形がばらばらなのを、あえてブランドの特徴としています。
ペットボトルを溶かすための熱エネルギーを使わなくてもリサイクルは成立したんですね。
商品の容器をデザインせずにして、リサイクルの仕組みそのものをデザインした会社。
まさに、コロンブスの卵。
クールですね。
建築でもこういうのできないかな。
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イベリコと焼そばと菊
街を歩いていたとき、ふと下を見ると、そこには小さなどんぐりが落ちていました。
どこかの公園から転がってきたのでしょうか。
秋ですね。こういう、ちいさな季節感を大事にしていきたいと思います。
先週末、そのどんぐりを食べて育つというイベリコ豚を食べました。
スペイン人の友達の家でパーティーがあり、その時に振舞われたのです。
背中の部分と後ろ足の部分の生ハムを食べましたが、後ろ足の方が柔らかくて美味しかったです。
さて、その次の日には出店がたくさん出ているところを歩いたのですが、たこ焼きもお好み焼きも焼そばも、ほとんどのお店が大盛りをアピールしていました。
おそらくフードファイターの影響だと思います。
その中で、ひときわ目についたのは「爆裂王」という焼そば屋さんです。
なんと、大盛りは量が多すぎてプラスティックのパッケージの蓋が60度ぐらいまでしか閉まりません。そんな半開きの状態のまま半透明のビニール袋にそうっと入れられます。
どうしても気になったので、一つ買いました。500円です。
この焼そばはビニールの袋に箸をつっこみながら食べるのが一つのスタイルのようです。
肉はほとんど見当たりません。大好きなショウガもないです。もやしは少しありました。
あまりにお腹がふくれて、他にも食べたい出店がありましたが、今回はパスしました。
それから数日後、あるところで、食用菊の花びらを食べました。
馥郁(ふくいく)とした香りを目を閉じて楽しみました。
僕は、「ああ、これこれ・・・」と思いました。
極めて、繊細な微妙な世界。
これこそは僕が建築で目指したい世界でもあります。
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真贋
食品の偽装事件が次々と告発されていますね。
豚肉をまぜた「牛肉のミンチ」を製造・販売していた会社の社長も逮捕されました。
このニュースを聞いて、少しだけひっかかることがあります。
なぜなら、僕もスーパーにときどき行きますが、そこで売っているものの名前は嘘の場合も多いからです。
最近知ったのですが、「シメジ」としてスーパーに並んでいるものは、ほぼ100%「シメジ」ではないそうです。たとえば、「ブナシメジ」と表記されているものの本当の正体は「シロタモギタケ」、「シメジ」と表記されているものの本当の正体は「ヒラタケ」です。
本物の「ホンシメジ」はマツタケと同じで人口栽培が不可能なので、基本的には市場に出回っておらず、もし見つけたとしても大変高価なものです。
僕はおそらく今まで「ホンシメジ」を一度も食べたことがないでしょう。
「香り松茸、味しめじ」と言いますが、本物のしめじを食べたことがないのだから、話になりません。
こういった「しめじ」のような例はスーパーに行けば、いくらでもあるのですが、これらは犯罪にならないのでしょうか?
大衆的なお寿司屋さんで出すアナゴはウミヘビの場合もあると聞きました。
たぶん、僕も食べちゃっているでしょう、ウミヘビ・・・。
この際、全部本物の名前で売ってほしいですね。
そしたら、「ウミヘビ、タレで握って!」なんて・・・いわないか。
また、マンガ「美味しんぼ」で知ったのですが、スーパーで売っているワラビ餅もワラビのワの字も入っていないそうです。
入っているのは片栗粉です。
しかし、その片栗粉に本来使われるべき片栗の根も入っていません。
入っているのはジャガイモのデンプンです。
つまり、二重に偽装しているのです。
こうして考えていくと、犯罪とそうでないものとの線引きは難しい気がします。
そういえば、建築の素材も同じかもしれませんね。
ちょっと、調べてみたいと思います。
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形式と様式
ある幼稚園で「秋祭り」の催しがありました。
そのなかにお茶席が設けられていたそうです。
このことは近所のお茶屋さんからのDMで知ったのですが、幼稚園にお茶席とはなかなか面白い企画だと思いました。
赤い毛氈の上で、幼稚園児が父母と並んで神妙に正座をしている風景。
両手で持った茶碗を眉をひそめながら口元に運んでいる風景。
そんなイメージが頭に浮かびます。
イメージの奥には、茶の湯の詫び、寂び、はありませんが、幼児たちのこだわりのない自然な動作、気取りのないくつろいだこころが感じられます。
もしかしたら、茶道という学問は、こういった幼児たちの「自然な動作」、「くつろいだこころ」をもう一度習得するための学問なのかもしれないなあ、と勝手に思いました。
茶道が面白いのは、その学問が主に茶葉の種類、香り、風味等を知識として勉強するのではなく、お茶を点てる側と点てられる側の動作の仕方、形式を勉強することに重きをおいていることです。形式としての動作がまずあって、その結果としてこころを習得していくわけですね。
それでは話は変わって、建築はどうでしょう。
建築学発祥の地、古代ギリシャでの建築学はまず神殿の様式でした。
例えば、柱の様式は大きく分けると三つあり、それは、ドリス式(ドーリック・オーダー)、イオニア式(アイオニック・オーダー)、コリント式(コリンシアン・オーダー)です。
そして、日本の建築学も神社の様式として始まったと思います。
例えば、神社の様式を大きく分ければ、六つあり、それは、神明造、大社造、住吉造、春日造、八幡造、流れ造です。
特に伊勢の神宮の本殿は唯一神明造といって別格とされています。
うーん、僕はまだまだ様式のその奥にある大事なことに気が付いていないように思います。
もっと、勉強ですね。
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インド式計算術
インド式計算術の本を読みました。
おかげで、12×14など、1○×1○の掛け算は暗算ができるようになりました。
もちろん、からくりがあります。
例えば、先述の12×14=は・・・
(12+4)×10+(2×4)=168と計算できます。
同じように、
13×16=(13+6)×10+(3×6)=208となります。
簡単でしょ。
ふふふふふ、ちょっとだけ優越感。
flathouse サカノ
