夏風邪?
1週間、熱が下がりませんでした。
頭がガンガン痛い。[:冷や汗:]
初めてのER。[:病院:]
今週お打ち合わせをキャンセルさせてしまった方々には、
本当に、ご迷惑をおかけしました。
この場を借りて、再度お詫びいたします。[:ひやひや:]
とにかく、頭だけすごく痛く、熱があるのに喉の痛みや咳はまったくない症状。
こんなの初めてです。
本当に夏風邪なんでしょうか。
でも、治ったみたいです。[:グッド:]
来週は今週の分も仕事しないと!!!![:ジョギング:]
今回は絵文字使用お許し下さい。
夏休みの思いで(2)
シリーズ第2段です。
昨日は暑いなあと思っていたら、急に雲が広がり、雷が鳴ったとたん、凄い雹(ヒョウ)!!
初めて見る凄い勢いの雹でした。打ち合わせの現地に行くのに2時間遅れてしまいました。
電車に乗ったまま、鉄橋の上で1時間半も停車しました。強い風で飛ばされた木が線路の上に乗ってしまったのが原因でした。
なんて、さんざんな一日でしたが、それでも夏は好きです。
さて、本題に入ります。
「夏休みの思いで(1)」で紹介した友達との会話で、もう一つ忘れられないい思い出があります。
彼はロック(音楽)が好きなんですが、そんな彼が、
「自分がローリング・ストーンズが活動している時に生きていることは、非常にラッキーだ、確率としてはかなり低いはずなのに・・・」
「もしかしたら、縄文時代に生まれていたのかもしれない。そう考えると、本当にラッキーとしかいえない・・・」
これを聞いたときの感覚はいまでも覚えています。
ロックが本当に好きであれば、全盛期の1960年代~1970年代に青春を過ごせなかったことを残念に思ってもおかしくないのでは?
私がロック好きだったらそう思うはず。
つまり、確率を考えるときの、「分子/分母」の「分母」の大きさが違うわけです。
いろいろなことを考える上で、このように「分母」の大きさによって答えがかなり違ってきます。
このことに気付いたのが、「夏休みの思いで(2)」です。
私はロックに特別詳しくはないですが、嫌いではありません。
最近、サンボマスターを好んで聞いています。
ボーカルの彼が歌の中で、「仮にとか、もしもとか、もうやめましょう。僕はこの胸の高まりがすべてなんですよ!」とか、「僕は言葉にできないからギターを弾くんですよ!」など、叫ぶところがとても好きです。
彼らのほとんどの歌は「ビービー」という愛称の女性のことが主題になっています。そんな純なところもいいですよね。
「ビービー」で思い出すのが、J.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の主人公の妹の「ブーブ」です。響きが似てますよね。
サリンジャーは好きです。彼の本は全て何度も読み返しました。
それについて書くと長くなるので、また別の機会にします。
話がどんどんそれていくので、
「夏休みの思いで(2)」はこの辺でおしまい。
夏休みの思いで(1)
最近、建築の話書いていないですね。
まあ、良いじゃないですか。
なんとなく、「夏休みの思いで」というシリーズを時々書いていこうと思います。
夏は好きなんですね。
学生のころ、友達と免許の合宿に行きました。
場所は山形県の赤湯温泉というところ。
たしか、期間は2週間ぐらいだったと思います。
その友達は同じ高校だったのですが、なぜか大学にはいってから仲良くなりました。それで男二人、免許の合宿にいこうということになったんです。
彼とは合宿中にいろいろなことを話あったのですが、そのなかで今でも時々思い出す、彼の一言があります。
誤解を恐れずに書きますと、次のような一言だったと思います。
「世界の99%はどうでもいいことだ」
衝撃的な一言でした。
つまり本当に大切なことは1%しかないということです。
そのときは、めずらしく素直に、聞いた瞬間「たしかにそうかもしれない」と思いました。
もう少し詳しく書きますと、例えば携帯電話を落としたとしてもそれは「大したことではない」という考え方です。(その頃はまだ、携帯電話は普及されていませんでしたが)
それでは本当に大切な「こと」とはなんでしょうか?
それは、命、胸に込み上げる熱い思い、やさしさ、食べ物、等、人それぞれあると思いますが、結局は人類共通な事柄に収斂されていくと思います。
世界は本当にたくさんの「もの」や「こと」で溢れています。今、目の前にあるキーボード、マウス、テーブルも含めて、本当にたくさん。
それらのできるだけ多くを意識し直し、もう一度本当に大切なことを再認識することができれば、もっとゆったりした気持ちでこの世の中と向き合えるのではないでしょうか。
人間は習慣的に与えられたハードルを大事に思い、それをがんばって乗り越えようとします。また、一度獲得したものを大事に思い、それを手放すことは大きな苦痛です。
しかし、本当に大切なことは1%しかないんだと思ったとき、一瞬ですが、いろいろなことから執着がなくなり、気持ちが大きくなった感じがしました。
自然豊かな暑い夏、虫の声・・・。
「夏休みの思いで」の一ページです。
google earth


グーグル・アースはすごいです。
21世紀がやっときた、自分はやっと未来にたどり着いたと思いました。
これからの子供達の教育は自分の世代と比べて、ずいぶん変わるのだろうなとも考えてしまいます。
大げさですかね。
でも、いつもより少しだけ興奮しています。
みなさん、グーグルからダウンロードして世界の旅に出掛けましょう!
コーヒーの味
打ち合わせの終わりにケーキとコーヒーがでました。
ケーキはともかく、コーヒーがとても美味しく、感心しました。
あまりに美味しいので、ついつい聞いてみました。
「このコーヒーは本当に美味しいですね。どうやっていれたのですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「ぜひ、教えてください。」
「ちょちょちょっと振って・・・・・・。」(手を振る動作)
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「(もしかしてインスタント・・・・・・?」
「コホン・・。さ、さぞかし良い粉なんですね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「ぜひ、教えてください。」
「ゴールドブレンドです。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「ダバダー・・・・・・・・・・・。」
こうして、「違いがわからない」ことが判明した。
アサイージュース

うわさのアサイージュースを飲んでみたいと思い、タリーズにいきました。
サッカー選手やグレイシー一族が飲用している健康ジュースです。
ブルーベリーのような味。
ポリフェノールが赤ワインの??倍とのこと。
健康に良いと聞くと試したくなります。
試すだけで続かないのですが・・・。
以前、ヨーグルトが良いといううわさを聞き、家でカスピ海ヨーグルトを作ってたべていました。
ところが、「病気にならない生き方」という本の中で、ヨーグルトも牛乳も身体に良くないとあり、それ以来ヨーグルトも牛乳もほとんど口に入れていません。
「あるある大辞典」でヨーグルトが花粉症に効くと放送したあと、ちょっとしたヨーグルトフィーバーが起こったのはなんだったのか・・・。
みなさんも覚えていますよね。
アサイージュースはどうでしょうか?
99%チョコ
口に入れたときの驚きといったら・・・。
最近、ずっと、気になっていたので試してみることにした。
甘い飲み物が一緒じゃないことをとても後悔。
残りをどうやって食べよう・・・?
だれか、いい方法を教えて下さい。
プレゼント
クライアントと現場でのお打合せ。
奥様から帰りにすてきなプレゼントをいただいた。
ミッキーのペンライトキーホルダー。
他にドナルドダックやチップもいただいた。
「この前のお打合せのとき、可愛いですねって坂野さんがいったから。」
本当にうれしかった。
久しぶりにディズニーランドに行きたくなった自分がいる。
建築から絵へ

ギャラリーフェイク (31)
細野 不二彦
以前、何気なくコンビニで買った漫画。
結構おもしろかったので、コンビニにいくと他の巻がないか探してしまう。
ブックオフで見つけたので、何冊かまとめ買いしました。
主人公は元、N.Y.メトロポリタン美術館のキュレーター(学芸員)。
メトロポリタン美術館(MET)には留学していたころ何回かいった。
この漫画は「美味しんぼ」のように画と話の作り手が分かれていない。
だから、ちょっと物足りない気もするが、絵が好きなのでそれでも楽しめる。
同じく絵の物語、ダビンチコードは新刊が出た頃から注目していたが、まだ本も読んでいないし、映画も見ていない。
とりあえず、今後の楽しみですね。
作家の江國香織さんも絵も好きみたいで、絵や美術館を題材にした本も結構あったと思う。
彼女の絵を語るときの描写がとても好きです。
そういえば、最近のシャープ、アクオスの宣伝は建築から絵に題材を変えてきていますね。
アクオスの宣伝にも使われている、あのゴッホの「カフェテラス」は、今年あったゴッホ展で見られたのに,結局時間がなくてみられなかった。
本当に残念。(;e;)
愛知万博やってるときに名古屋の美術館でもやっていたのに・・・。
いつか必ず観る!
画家は生前は貧乏なのに、死んでから絵が評価され、めちゃめちゃ高くなるケースが多い。
そんな画家の純な生き方を尊敬してしまう。
今日は自分でもめずらしく、夜中にブログを書いている。
支離滅裂な文章でごめんなさい。
おやすみなさい。
ゴールデンウィーク
ゴールデンウィーク中に、雑誌の取材の下打ち合わせということで、去年の暮れに完成したあるお宅におじゃましました。
完成したときは、まだお庭が砂利のままでしたが、今回おじゃましたときは芝生も木もいい感じになっていました。
やはり、建物は外構ができて初めてしっくりくるものです。
まわりの環境にも馴染んできました。
都内に建てる住宅だと、庭のスペースがほとんどとれないのがあたりまえになりつつあります。
しかし、たとえ庭がなくても緑がなくても、自然を意識できる空間や環境をつくることが出来れば、といつも考えています。
人は、あるきっかけで自然を意識します。例えば、そよと吹く風、光の揺らぎ、鳥の声、水の音・・・などなど。
もしかしたら、ある人は「自然を意識することなんて必要ないよ」というかもしれません。
昔よりも自然を意識しなくても生活できるようになったのは、電気や設備の技術が発達したからです。
例えば、照明があるから夜も明るい空間を確保できます。エアコンがあるから寒さ暑さも気になりません。空調設備の発達で地下でも快適空間が保てます。
しかし、なにかものたりない感じがします。
どんなに技術が発達してもです。
「自然を意識できる環境」が足りないのです。
それを、つくるのが建築家の役目の一つではないでしょうか。
