2011-02

ストーリーのある建築とない建築

 建築は「ストーリーのある建築」と「ストーリーのない建築」に分けることができます。

「ストーリーのある建築」とは、例えば美術館のように歩く順路が決められている建築のこと指します。

一方、「ストーリーのない建築」とは、例えば住宅のように歩く順路が決められていない建築のことを指します。

ある美術館はエントランスから出口まで一方通行なので、音楽や小説、または映画やフルコースの食事のようにストーリーを構成することが出来ます。

もちろん、一方通行ではない構成で創られた美術館もあります。

住宅はたとえエントランスから始まっても、寝室が最終目的地でもなく、必要に応じてキッチンやトイレを行ったりきたりするので、ストーリーを構成しづらい建築です。

建築にとってストーリーとは、風景のシークエンスであったり、空間の伸縮であったり、光と影のリズム、等々いろいろな手法が考えられます。

ディズニーランドでアトラクションの順番待ちのため長い洞窟の中を歩くとき、空間の伸縮や音などで私たちを退屈させないようにしていますが、あれもアトラクションに至るまでのストーリーといえるでしょう。

ディズニーランドの例でも分かるとおり、「ストーリーのある建築」は比較的考えやすいのですが、本当に醍醐味があるのは「ストーリーのない建築」かも知れません。

「ストーリーのない建築」は時系列に頼らない手法を構成しなければなりません。

小説や映画において、あえて時系列をばらばらにしてストーリーのない構成を狙った作品も多くあります。

建築は必ずしも音楽や映画のように時系列に縛られないこそ、かえってストーリーのない構成の方が手法として難しいのかもしれません。

しかし、そこに建築特有の効果を掘り出せる手法(マニエラ)が見つかるのではないかと思うのです。

sakano flathouse

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2011年2月2日 | 投稿者:

建築の気

 今日は月一回のペースでおこなっているスタッフとの夕食会でした。

普段はお互いそれぞれ忙しく、毎日仕事の話しかしないのはどうかと思い去年から始めた企画です。

今回は焼肉を食べながら、最近考えていること、それぞれの不満、建築論等でそれなりに盛り上がりました。

そんな中で、建築には「気」があると思うという話をしました。

設計者が一生懸命考え、職人さんたちが一生懸命工事をして完成した建築からは大きな「気」を感じます。逆にいい加減な気持ちで完成された建築からは小さな「気」しか感じられないので、物足りない気持ちになります。

そのためか、建築というのは高価な材料よりも、造る側の知恵と努力のプロセスの方が影響力を持つと考えるようになりました。

オカルト的なことにまったく関心がないのですが、建築を見て感じる「何か」の中にはそういった「気」も入り交ざっているような気がしてならないのです。

以前、ある精進料理家がラジオの中で「人は食物から「気」をいただいているのです」と言っているのを聞いて衝撃を受けました。

建築の「気」を考えるようになったのもそれからのことです。

人はより合理的に必要な栄養だけ摂取するのであれば、食物よりもそれを分解したタンパク質の方が効率がよく、タンパク質をさらに分解したアミノ酸の方がいいのかもしれません。

しかし、それでも私達は食物を選びます。それはやはり単なる栄養だけではなく食物の「気」を欲しているからではないかと思うのです。

今日は私もスタッフも焼肉で「気」をたくさんいただきました。

来月もがんばろっと。

sakano flathouse

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2011年2月1日 | 投稿者: