2010-07

蒸し暑さ

 いろいろな方から「最近ブログ更新しないね」といわれます。

ありがたいことです。

こんなブログでも気にしてくれる人もいると思うと、「忙しい」ということを書かない言い訳にしてはいけないなあと反省しつつ、梅雨が明け夏本番がきてしまいました。

以前ブログに書いたかもしれませんが、暑くなると思い出すのが吉田兼好の「徒然草」です。

その第五十五段の家作りのくだり。

「家のつくりやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころわろき住居は、耐へがたき事なり。
深き水は涼しげなし、浅く流れたる、遥かに涼し。こまかなる物を見るに、やり戸(引き戸)はしとみ(吊り戸)の間よりもあかし。天井の高きは、冬寒く灯暗し。造作は、用なき所をつくりたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定めあひ侍りし。」

(ちなみに、コルビュジェはエアーコンディショナーが普及し始めたころ、室内の温度はテクノロジーで調整できるので、窓はすべてFIX(開閉しない)ガラスで良いと主張したことがありますが、それは今日のテーマから外れるので、またの機会に取り上げます。)

日本は亜熱帯地方独特の蒸し暑さが風土としてあるので、抱きついたり、身体が触れる挨拶がないという説もあり、「蒸し暑さ」が日本の文化のベクトルとなっているのは間違いないでしょう。

俳人の長谷川櫂さんの著書の中に非常に興味深い事が書かれています。

「きっと日本人は大昔からこの蒸し暑く、堪え難い夏をできるだけ涼しく快適に乗り切るために生活、文化のあらゆる方面で「間」をとるようになった。というより、「間」をとらざるをえなかった。この夏によって培われた「間」の感覚がやがて季節を超越して生活や文化、さらには日本人の思想までに成長してゆく。絵には広々と余白を残し、音楽や芝居では沈黙をいきいきと働かせ、建築では簡素を尊ぶ。衣食住、人の付き合いのすべてにおいて、しつこいのを野暮とし、淡白を粋とするのも同じ理由によるだろう。この「野暮」とは「暑苦しい」ということ、「粋」とは「涼しい」ということとほとんど同じ意味である。」

そういえば、英語でもCOOLをかっこいいという意味で使いますね。

長谷川さんは名句の基準とは「その句が涼しげにそこに立っているかどうか。実はこれ一つしかない。」と言い切る。

涼しさ、それは「要素」が少なく「間」がたっぶりあること。

名建築、それは「涼しげにそこに立っている建築」

flathouse sakano

カテゴリー: 日記 | 投稿日:2010年7月27日 | 投稿者: