2008-08
夏
本当に久しぶりのブログです。
もう夏も折り返し地点を過ぎましたが、まずは初夏の報告からさせていただきます。
7月の初旬にあるクライアントさんに蛍がいるスポットを教えてもらい、蛍を見に行くことになりました。
今年になって3歳になる娘に、いろいろとこの世界の不思議を感じてもらおうと思い、今回もそのイベントの一つとして蛍を見に行くことになったのです。
夜8時半ごろ、蛍の飛ぶ川のふもとにたどり着きました。
寝ている娘をたたき起こし、なんとか蛍が飛んでいるところを一緒に見ることができましたが・・・。
思ったより、娘は驚きません。
というか、ほとんど、寝ぼけています。
私たちの他にも蛍見物の人たちが結構います。
蛍見学の人たちは、蛍単体に出会うことにも価値を感じていると思いますが、蛍が存在する環境そのものに出会うことにも大きな価値を感じているようです。
娘にはまだどちらの価値も分からないみたいでした。
まあ、それなりに楽しんでいたようですが・・・。
昔の人は、蛍の光を本を読むための道具としても価値があったのかもしれませんが、昔も今も蛍の光はそれ自体出会うことに価値があったのだと思います。
建築家のバーナード・チュミは、建築のことを(うらおぼえですが)こんなふうに言っています。
人が一本のマッチをなんの用途のためにではなく、ただ炎を見たいという快感だけのために擦るとしたら、その行為こそが建築である。
かっこいいですね。彼にとって建築とは、快感のためのイベントなのです。
夏になり、蛍や花火などのイベントが多くなると思い出す建築観です。
たしかに、蛍や花火を見ている人たちは本当に楽しそうですよね。
建築も、単なる用途、機能としての価値ではなく、それ自体の存在が価値となるべきだと感じた初夏でした。
flathouse sakano
カテゴリー: 日記 | 投稿日:2008年8月19日 | 投稿者: