2007-02
年度末
年度末なので、分譲物件などの仕事の依頼も増えてきます。
予算取りの季節なんですね。
4棟の分譲物件で、ちょっとだけ面白い案かなと思って提案すると、
事業主さんに「もう少し、普通のやつをお願いします。」
というようなことを言われました。
すべては売れるためなので仕方がないことですが・・・。
一方、本日(日曜日)、あるエンドユーザーのクライアントに注文住宅の提案をしました。
普通な案と、ちょっとだけひねった案と、かなりひねった案の3案を提案したのですが、
かなりひねった第3案が、「これ、いい!」「どうせ坂野さんに頼むんだったら、これぐらいの方が楽しそう」と言われました。
先述の分譲の一件があったので、意外な反応で少し戸惑いましたが、
これこそエンドユーザーが求めている提案なのだと、改めて確信しました。
売れる物件を作りたい事業主さんに内緒でお教えします。
エンドユーザーが本当に必要としている物件とは、設計者が考え抜いた「第3の案」ですよ。
パーク・アンド・タワー
連休ですね。
天気はいいのですが、お仕事されている方も多いと思います。
お疲れ様です。
設計の仕事もそうですが、連休空けの締め切りって多いのが常ですよね。
さて、前回のブログで「機械」という言葉から始まって、コルビュジェの話になりましたので、今回も少しコルビュジェのことを書こうと思います。
彼が面白いのは、効率化された都市を計画することによって、人間と人間、そして人間と自然がうまく共存できると考えたところです。
トニーガルニエの工業都市計画やエベネザー・ハワードの田園都市も、もちろん人間と自然の関係を考慮していますが、コルビュジェの都市計画はこれらの都市計画とはまったく異なります。
コルビュジェが提唱した都市は、100階建て以上の高層ビル(マンション)を間隔を大きくとりながら、建てていくというものでした。高層ビルの下には信号の無い高速道路をメインとした交通網と広大な公園が広がっています。電車は全て地下鉄とします。
高層ビルには住戸はもちろん、店舗もオフィスも学校も交通以外の全ての施設が備わっています。
人は、家からオフィスや学校へはエレベーターで移動するため、無駄な時間はかかりません。
地上に下りれば広大な公園でリラックスできます。
そのうえ、電気や上下水道といった設備も集中するので、無駄がありません。
つまるところ、彼が提案したのは、都市の密度を上げて効率化し、その副産物としてできる大きな余白(自然または公園)を楽しみましょう、ということでした。
また、中途半端な高密化は、かえって人間や自然の毒だということです。
なぜなら、中途半端な高密化だと交通も設備も無駄が多くなり、余白も中途半端になり、これでは人間も自然も生存しにくい環境となってしまうからです。
例えば、都市の小さなどんぐり公園ではカブトムシは生存しませんよね。生態系が多様化するには、ある程度まとまった広さが必要なのです。
それでは、現在の都市、東京はどうでしょうか?
都内で小さい敷地で住宅を考える際、いつも、コルビュジェのことが頭に浮かびます。
自然を救済することは、人間を救済することと同意だと、彼はいち早く気付いていたのだと思います。
立春
節分が過ぎました。
いよいよ、春ですね。
「節分」という言葉は、文字通り季節を分けるという意味で、もともと1年に4回あったそうですが、現在では冬から春に変わる2月3日の風習だけが残っているそうです。
私は花粉症なので、正直、「ついに来たか・・・」という感じです。
さて、冬は過ぎ去っても、厚生労働大臣の女性に対して機械と表現した騒動は、まだまだ続いているみたいですね。
かつて、建築家ル・コルビュジェは、「住宅は住む機械である」(machines ? habiter)と発表し大変話題になりました。
コルビュジェは、住宅を装飾ではなく、機能で人を幸せにしようと考えたのだと思います。
しかし、実際の彼の計画は、そんなにドライなものではありません。
彼は、人と自然と交通のより良い関係性を模索し続けました。
その理念は、50年以上たったいまでもいき続けています。
話は戻って、もし民主党が政権を取っていたとして、民主党の厚生労働大臣が同じ発言をしたとしたら、そのとき野党である自民党は、今の野党と同じように国会を欠席して審議拒否をしたのでしょうか?
どちらにしろ、「とりあえず、失言をした政治家のけじめは選挙の時に国民にしてもらうこととして、国会では他の大事な議論をどんどんしましょう」という野党が現れたら、支持したいですね。
(由)